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静岡地方裁判所 昭和31年(行)6号 判決 1958年9月05日

原告 満寿一食品株式会社

被告 清水税務署長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告が原告に対し、昭和三〇年一一月三〇日付でなした原告の自昭和二九年五月一日至昭和三〇年四月三〇日事業年度分法人税の所得金額を一、五八四、九〇〇円と更正した処分のうち、四二六、八〇〇円を超過する部分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、その請求原因として、

一、原告は、昭和二五年五月一日に設立され、麦粉、晒アン、パン粉等の製造を目的とし、毎年五月一日に始まり翌年四月三〇日に終る期間を事業年度とする株式会社であるが、昭和二九年五月一日に始まり、昭和三〇年四月三〇日に終る事業年度(以下本件係争年度と略称する)の法人税確定申告として、昭和三〇年六月二三日被告に対し、

一、所得金額         一、〇二八、三八〇円

一、前五年以内の繰越欠損金    八一七、〇八九円

一、差引所得金額         二一一、二〇〇円

一、算出税額            八八、七〇四円

と申告した。

これに対し被告は昭和三〇年一一月三〇日付をもつて、

一、所得金額         一、五八四、九〇〇円

一、法人税額           六六五、六五〇円

一、納付の確定した当期分の基本税額 八八、七〇〇円

一、差引法人税額         五七六、九五〇円

と更正し、同年一二月四日その旨原告に通知した。

原告は、右更正決定に対し同年一二月二七日再調査の請求をなしたところ、被告は昭和三一年二月二九日付をもつて再調査請求を棄却する旨の決定をなし、その通知書は同年三月五日原告に到達したので、更に同年三月三一日名古屋国税局長に対し、審査の請求をなしたところ、名古屋国税局長は同年七月一六日付をもつて審査請求を棄却する旨の決定をなし、その通知書は同年七月一七日原告に到達した。

二、しかしながら被告の更正決定は次の点において違法である。

(イ)  原告は被告に対して、法人税の申告につき昭和二五年六月三日法人税法(以下単に法と略称する)第二五条第一項により青色申告の承認申請をなし、その後毎年の予定申告、中間申告及び確定申告をなすに当つては青色申告用紙を用い、青色申告用紙がない場合は申告書の余白に<青>又は青色の表示を附して提出して来た。ところで、原告が被告に対して青色申告の承認申請をした当時の法第二五条第六項及び第二〇条第一項によれば、右申請書の提出があつた場合において、新たに設立された内国法人については、当該事業年度開好の日から六ケ月の期間を経過した日の前日までに、当該申請の承認又は却下がなかつたときは、当該申請の承認があつたものとみなす旨の規定があり、原告が前記の如き設立年月日、事業年度の内国法人であるのに、昭和二五年一〇月末日までに、被告から右申請の承認又は却下がなかつたのであるから、原告のなした承認申請が期間経過後のものであつても該申請は法第二五条第六項により当然に承認されたものとみなされるべきである。

また被告は右承認申請提出後の法人税の申告に際して、今まで一回も青色申告の承認がなされていないとか、或は非青色申告法人であるとかいう注意をしたこともなく、その都度、何の注意をも与えたこともなく、更に昭和二七年度に原告が被告の処分に対して再調査の請求をしたときの同年度の被告の滞納処分票には「再調査の請求が、青色申告をなした年度の処分に対するものである故法第三四条第三項により滞納処分をしない」旨の記載があることからも明らかであるように被告は実際の取扱においても、原告を青色申告の被承認者として取扱つていた。その後原告は被告から青色申告の承認の取消をうけることなく連続して青色申告書を提出しているのであるから、自昭和二七年五月一日至昭和二八年四月三〇日事業年度の欠損金一八〇、八一一円及び自昭和二八年五月一日至昭和二九年四月三〇日事業年度の欠損金六三六、二七八円合計金八一七、〇八九円は係争年度の所得の計算上損金に算入されるべきものである。

仮に、右青色申告の承認申請が、期間経過後に提出されたものであるため、昭和二五年度における申請としては不適法のものであるとしても、次年度の申請としては適法の申請であるから、右繰越欠損金を本件係争年度の損金に算入しないのは違法である。

(ロ)  原告は、訴外静岡オブラート株式会社に対し売掛金三四〇、九五〇円を有する。しかして、右訴外会社の財産が静岡地方裁判所昭和二七年(ケ)第六〇号不動産競売事件によつて最終的に競売されたのは昭和三〇年度に入つてからではあつたが、同会社は、営業不振のため既に昭和二七、八年頃から休業状態で、その営業の基幹をなす本社工場その他の不動産は、当時、債権者たる静清信用金庫より右のとおり任意競売の申立を受け、しかも抵当権附債権者は他にも二、三あり、それらの債権者に対する債務の総額は資産の総額に数倍する状況で、一般債権者は全然配当に与かることができない状況であつたから、一般債権者たる原告の同会社に対する右売掛金は既に係争年度において回収の見込みが全くないものというべきである。

このことは国税庁長官の基本通達第一一六項及び実務上の取扱例に照しても、是認せらるべきである。従つて、原告の右訴外会社に対する売掛金三四〇、九五〇円もまた本件係争年度の所得金額の計算上は損害金に算入さるべきものである。

しかるに、被告は本件係争年度の法人税の所得の計算について、右(イ)(ロ)の金額を損金に算入しないから違法である。そこで被告のなした更正決定額一、五八四、九〇〇円のうち、同額から右(イ)(ロ)の合計額金一、一五八、〇三九円を控除した金四二六、八〇〇円(国庫出納金等端数計算法第五条第一項により百円未満の端数は切捨る)を超過する部分の取消を求めると述べ、

三、被告の主張に対して、昭和二五年六月三日青色申告の承認申請をなした以後改めて本件係争年度に至るまで原告が青色申告の承認申請書を被告に提出したことのないこと、原告が青色申告の承認の通知をうけていないこと、原告が訴外静岡オブラート株式会社に対して有する売掛金債権につき、放棄又は免除をなしたことのないことはいずれも認めると述べた。

(立証省略)

被告指定代理人等は、主文同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁及び被告の主張として、

一、請求原因第一項の事実はすべて認める。

二、同第二項(イ)については、原告がその主張の日に法人税の申告につき、青色申告の承認申請のため申請書を被告に提出したこと、原告が法人税の所得申告中、自昭和二五年五月一日至昭和二六年四月三〇日の事業年度の中間申告、自昭和二八年五月一日至昭和二九年四月三〇日の事業年度の予定申告をいずれも白色申告用紙、自昭和二五年五月一日至同二六年四月三〇日、自同二六年五月一日至同二七年四月三〇日の各事業年度の各確定申告を青色申告用紙、その他の各事業年度の申告をいずれも白色申告用紙を用いてなし、白地申告用紙の場合には余白に<青>、又は青色の表示をなしていたこと、本件係争年度における原告の法人税の所得の計算については、原告主張の繰越欠損金を損金に算入していないことはいずれも認める。原告が青色申告の承認申請をなした後、連続して本件係争年度まで青色申告書を提出したことは否認する。その余はすべて争う。

青色申告法人であるためには、適法に青色申告書提出の承認を得ていなければならないのであるが、原告はその承認を得ていない。即ち原告は昭和二五年五月一日設立された法人で、その事業年度は毎年五月一日に始まり翌年四月三〇日に終るのであるが、法人税の申告につき、青色申告の承認申請書を被告に提出したのは、昭和二五年六月三日である。ところで、当時施行中の法第二五条第三項は「青色申告書提出の承認申請書は法人の設立後最初の事業年度である場合には当該事業年度開始の日から二〇日以内に政府に提出しなければならない」と規定し、更に同法附則第二三項は「昭和二五年一月一日以降同年五月三一日以前に開始する事業年度分の法人税について新法第二五条第一項の規定による青色申告書を提出しようとする法人は、この法律施行(施行日は同法附則第一項により昭和二五年四月一日)後二月以内に、同条第三項の規定による申請書を納税地の所轄税務署長に提出しなければならない」と定めているのであるから、原告が右承認を得ようとする場合は、承認申請書を昭和二五年五月末日までに提出しなければならないのである。しかるに原告は被告に対して右期間を経過した六月三日に提出したのであるから、該申請は法第二五条第三項に該当しない無効のものである。しかしてかかる申請については、法律は何等税務署長に対して応答すべき義務のあることを規定していないのである。従つて被告は右申請につき原告に対し許否の通知をしていない。その後本件係争年度にいたるまで改めて原告が青色申告の承認申請書を提出したこともないので、被告は原告を非青色申告法人として取扱つて来た。そうすれば、この場合法第九条第五項の規定を適用する余地がないから、本件係争年度においては、原告主張の繰越欠損金は所得の計算上損金に算入されるべきではない。又青色申告の承認申請は、当該事業年度を明示してなさねばならないものであるから、期間経過後の申請が、当然に次年度の承認申請として適法な申請たり得るということはできない。

三、同第二項(ロ)については、原告が訴外静岡オブラート株式会社に対し、その主張の額の売掛金を有することは認めるが、右売掛金は本件係争年度の所得の計算上損金に算入されるべきものではない。即ち、被告の調査によれば、右訴外会社は昭和二七年五月以降休業中なるものまだ解散の方針も確定せず、昭和三〇年四月三〇日の現況によると、所有建物、機械類は訴外静清信用金庫のため抵当権設定の目的物となつてはいるが、これとてもまだその処分が確定していないとともに資産、負債につき未整理であつて、しかも、右訴外会社の財産状態は発表された貸借対照表によるも、原告の右訴外会社に対して有する右債権が全然回収の見込がたたない事情にあるとは認められないし、また、原告はその有する前記債権につき、放棄又は免除をしていない。従つて、これらの事情の下では右債権を回収不能として本件係争年度の損金に算入すべきではない。と述べた。

(立証省略)

理由

一、原告会社は、昭和二五年五月一日に設立され、毎年五月一日に始り翌年四月三〇日に終る期間をその事業年度とする株式会社であり、昭和三〇年六月二三日本件係争年度分の法人税の課税標準たる所得金額を二一一、二〇〇円と申告したところ、これに対し、被告は右所得金額を一、五八四、九〇〇円と更正し、昭和三〇年一二月四日その旨原告に通知をしたこと、原告は昭和三〇年一二月二七日被告に対し、再調査の請求をしたところ、被告は再調査請求を棄却する決定をなし、昭和三一年三月五日原告に通知したこと、原告は昭和三一年三月三一日名古屋国税局長に対し審査請求をしたところ、名古屋国税局長は審査請求を棄却する決定をなし、昭和三一年七月一七日原告に通知したことはいずれも当事者間に争がない。

(一)  ところで原告はその初回事業年度において適法に青色申告書の提出をうけ、その後連続して青色申告書を提出しているものであるから、本件係争年度分の所得の計算については、自昭和二七年五月一日至昭和二八年四月三〇日事業年度の欠損金及び自昭和二八年五月一日至昭和二九年四月三〇日事業年度の欠損金合計金八一七、〇八九円は損金に算入されるべきものであると主張し、被告はこれを争うので先ずこの点について判断する。

(二)  法人税の課税標準は各事業年度の所得金額により(法第八条)、そしてこの所得金額及び法人税額は第一次に納税義務者の申告によつて自動的に確定する建前である(法第一八条、第二六条)。この申告納税制度は課税の基礎となる事実を納税義務者が最も正確に把握し得る立場にあるので納税義務者をしてその事実に対し税法所定の租税負担を確定、実現せしめるのが、最も適当であるという自主的民主的考えに基礎をおいている。そして、税務官庁としては、納税義務者に対する適正にして公平な租税債権の確定を監視し、申告をなさないもの及び申告が正当と認められないものに対してのみ法定の手続をとらねばならないにすぎない(法第二九条乃至第三三条)。従つて申告納税制度は申告納税義務者の誠実性と真実性とを基調とするもので、その申告される課税標準及び税額は適正なものでなければならない。法人税法はこの自主的民主的基礎の上に立つてしかも納税義務者の誠実性と真実性とを確保するため一定の要件に当嵌る法人については承認制によつて青色申告書の提出を許し、かかる法人については法人税の軽減等諸種の優遇措置を講じている。その要件に当嵌つた法人というのは青色申告書提出の承認をうけた法人である。青色申告書提出の承認をうけるためには、(イ)資産、負債及び資本に及ぼす一切の取引につき、複式簿記の原則に従い整然と且つ明瞭に記録し、その記録に基き決算を行い(法人税法施行細則第一二条)、(ロ)原則として法人税法施行細則第一三条別表一六に定める事項を記載する帳簿を備え、同表に掲げる事項を記載し、且つ同細則第一九条によりその所定の帳簿を五年間保存し、(ハ)所定の事項を記載した申請書を青色申告書を提出しようとする事業年度が、その設立後最初の事業年度である場合には、当該事業年度開始の日から二〇日以内に税務署長に提出しなければならない(昭和二五年法律第七二号第二五条三項)。但し、昭和二五年一月一日以後同年五月三一日以前に開始する事業年度分の法人税の青色申告書提出の承認をうけるについては、その承認申請書を昭和二五年五月末日までに税務署長に提出しなければならないのである(同法附則第二三項)。そして、青色申告書提出の承認申請がなされた場合は、税務署長は法第二五条各項によつて、申請につき承認又は却下の処分をなすべきであるが(法第二五条五項)、申告の対象となつた事業年度終了の日又は当該事業年度開始の日から六ケ月を経過した日の前日までにそれらの処分がなされないときは申請の承認があつたものとみなされる(法第二五条六項)。青色申告書提出の承認をうけた法人がその備えつけた帳簿書類が命令の規定に準拠していない場合、またはその記載に真実性を疑うに足りる不実の記載のある場合等一定の事実があると認める場合には税務署長はその事実があつたと認められる時まで遡つてその承認を取消すことができる(法第二五条七項)。青色申告書提出の承認申請の承認、却下、承認の取消等の処分をなした場合には税務署長は法人に対して通知しなければならないとされている(法第二五条八項)。そこでこの法第二五条六項の趣旨を考えてみるに、昭和二五年一月一日以後同年五月三一日以前に開始する事業年度分の法人税の青色申告書提出の承認申請をなさんとするものが承認申請書を所定の期限である昭和二五年五月末日まで提出した場合には爾後五ケ月内即ら昭和二五年一〇月末日までには当然同申請に対して調査のうえ税務署長が許否を決し得るものと法律は予想しているのである。しかし、事務の繁忙等のため税務署長がその期間内に許否を決し得ない場合も予想し得ないわけではない。しかしながら、申請者に対する申請要件の調査未了等のため許否を決し得ないのは一般に税務署長の責に帰すべきものであるから、相互信頼及び手続の公平の上に基礎をおく申告納税制度の根本精神に徴して、そういう場合には期間内に所定の申請書を提出した申請者を保護してやる必要があるので、法第二五条六項に所定期間の経過によつて自動的に承認されたものと見做す旨の規定が設けられるにいたつたものと考えられる。法第二五条六項の趣旨を右のように解する以上は青色申告書提出の承認申請書提出の期間の定めは青色申告書提出の承認申請の適法要件であつて、単なる訓示期間を定めたものではないから、申請に対する承認が擬制されるのは承認申請が所定の期間内に提出された場合に限ると解すべきである(同趣旨所得税法第一〇条の二第四項第八項)。

そこで翻つて本件について考えるに、原告が昭和二五年六月三日被告に対し青色申告書提出の承認申請をなしたことは当事者間に争がない。そうすれば、原告の申請は前記説示に照して期限後の申請であることは明らかである。そしてまた右承認申請については昭和二五年一〇月末日までに被告から原告に対して許否の通知のなかつたことも当事者間に争がない。

この二つの争ない事実を前記説示に照して考えると、被告は期限後の承認申請については許否の決定をなすべき法律上の義務を負わされていないのであるから、原告の本件承認申請につき何等の判断をしなかつたことは相当であり、原告が所定期間内に許否の通知をうけないからとて当然その申請を承認されたものと主張することは何等根拠がないことに帰する。

原告は又、昭和二五年六月三日なした青色申告書提出の承認申請が提出期間を経過したため昭和二五年度における承認申請としては有効でないとしても、翌昭和二六年度の承認申請として有効であると主張するが、法人税法施行規則第二八条の三第三号は、承認申請書に申請後最初に青色申告書を提出しようとする事業年度を記載すべきことを要求している。従つて事業年度を明示してなした申請が、当然翌事業年度のための適法、有効な申請となるものとは到底考えることはできない。

更に原告は、昭和二七年度に原告が被告の処分に対し、再調査を請求したとき、同年度の被告の滞納処分票には「再調査の請求が、青色申告をなした年度の処分に対するものである故法(昭和二六年法律第六四号法人税法の一部を改正する法律による追加)第三四条第三項により滞納処分をしない」旨の記載があつて、被告自身においても原告を青色申告法人として取扱つていたものであると主張するが、これを認めるに足る証拠はないのみならず却て何れも成立に争のない乙第七ないし第一三号証によれば被告は終始原告を非青色法人として取扱つて来たことが看取されるから原告のこの主張はこれを認めるに由ない。

以上の理由によつて原告は青色申告書提出の承認をうけていないことは明らかである。しかして、法人の各事業年度開始の日前五年以内に開始した事業年度において生じた欠損金を各事業年度において生じた損金として各事業年度の所得の計算上損金に算入できるのは青色申告書提出の承認をうけた法人に限られ、かかる承認をうけていない法人については、各事業年度の所得の計算上前事業年度からの繰越欠損金を損金に算入し得ないことは法第九条一項五項法人税法施行規則第六条二項によつて明らかである。そうすれば、原告の前五年の繰趣欠損金を損金に算入すべきであるという主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

二、次に原告は、訴訟静岡オブラート株式会社(以下訴外静岡オブラートと略称する)に対する売掛金三四〇、九五〇円が本件係争年度における総益金より控除されるべき損金であると主張するので、この点について判断する。

法第九条第一項の総益金より控除されるべき総損金とは、法令により別段の定のあるものの外、資本の払戻又は利益の処分以外においての純資産減少の原因となるべき一切の事実をいうものであり、売掛金についていえば、当該事業年度内に回収不能となつた場合に初めてこれによつて生じた損失を損金として当該年度の総益金より控除し得るものと解されるのである。

ところで、原告が訴外静岡オブラートに対し、三四〇、九五〇円の売掛金を有することは、被告の認めるところであるから、結局これが本件係争年度内に回収不能となつたか否かということに問題は帰着する。

成立に争のない甲第一二号証の一乃至六及び証人武田緑、同浜下市造の各証言の一部を綜合すると、訴外静岡オブラートは昭和二六年頃より営業不振となり翌二七年四月末に不渡手形を出して、同年五月末にはその営業を休止し、その旨訴外静岡税務署長に届出をなしたことを認めることができ、何れも成立に争のない甲第一号証の一、二、第二、第四、第五号証、第六号証の一、二、第七号証の一乃至六、第八、第一〇号証、第一一号証の一、二、乙第二乃至第四号証及び右浜下市造の証言、並びに証人望月廣副の証言を綜合すると、昭和二七年一〇月二四日訴外静清信用金庫は、静岡地方裁判所に対し、訴外静岡オブラートに対する債権額金三〇〇万円を限度とする工場抵当法による根抵当権に基き、当時静岡オブラートの殆んど全資産であつた工場建物、機械、備品等の競売申立をなしたところ(同庁昭和二七年(ケ)第六〇号事件)、同月二七日競売開始決定が下され、当時同裁判所の命じた評価人の評価によると右物件(競売開始決定に洩れていた一部物件を除く)の価額は金五、三五二、一〇〇円であつたが、翌二八年二月二八日の競売期日において訴外少沢秀が右物件を金五五〇万円で競落し、同年三月三日競落許可決定があつたこと、これに対して静岡オブラートから抗告の申立があり、昭和二八年七月二〇日東京高等裁判所において競落許可決定に抵当物件の一部の記載が脱漏していたことを理由に、原決定を取消し、静岡地方裁判所に差戻す旨の決定があつたため、同裁判所は先の手続において脱落していた物件について更に評価をなした上、昭和二九年三月一六日最低競売価額を金六、二三五、〇〇〇円として競売に付したが、競落人がなく続いて同年四月三〇日、六月一九日、九月一五日、一一月一四日と競売期日を開いたが、何れの期日にも競落の申出がなく、その都度最低競売価額を下げていつたところ、翌昭和三〇年六月二一日の競売期日に漸く訴外静清信用金庫が金二、一六八、八〇〇円で競落し、同月二八日競落許可決定があつて、これを確定し、同年八月二二日競落代金を支払い、競売手続が終了したことを認めるに十分である。更に、何れも成立に争のない甲第三号証の一、二、第九号証の一乃至三及び前記甲第一〇号証に、前記浜下市造、望月廣の各証言を綜合すると、訴外静岡オブラートは、昭和三〇年四月三〇日現在において、その所有の前記競売物件たる工場建物、機械、備品等(右競売物件)について訴外静清信用金庫、同望月佐一、同株式会社清水銀行に対し、元本債権額金五、六六八、八〇〇円を被担保債権とする抵当権を負担し、又国税、地方税の滞納債務合計二九五、七六一円を負担していたこと、及び前記競落代金は結局競売申立人たる静清信用金庫の元本債権の一部と訴外静岡市長の交付要求に基く地方税の一部に充てられたにすぎず、その他の交付要求をした債権者等に対しては全然交付する余地がなかつたことを夫々認めることができる。

以上認定した事実によれば、昭和三〇年四月三〇日現在において、訴外静岡オブラートは殆んど再起困難の立場に陥つたものというべきではあるが、しかしその所有の全資産を換価してもなお原告の前記売掛金を全く支払う能力がなくなつた(本件係争年度内にはまだ前記競売物件は競落されていない)ことが確認されたものではなく、結局原告の売掛金はなお回収不能の状態ではなかつたといわねばならない。そうすれば、右売掛金が本件係争年度において損金に計上されるべきであるという原告の主張も理由がない。

以上のとおり、原告の本訴請求は、総て理由がないから、これを失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 大島斐雄 鈴木重信 浜秀和)

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